自分を知ること。
自分を調えること。
幸せに生きること。
その道のりで
「私自身がどう感じているのか?」
それを観ることは、すごく大事なベースになる。

けれど。
感じることよりも、考えることの方が前へ前へ!と出てきていて。
感覚がよくわからなくなっていたり。
頭で考えたことを「感じたこと」と勘違いしていたり。
こんなこと感じちゃダメだ!とか。
みんなはこうだから!とか。
自分が感じたことを日々、押し込めたり。無かったことにしたりして。
自分のことがよくわからなくなったり。
調えることを複雑にしていたり。
幸せに生きることを難しくしている。
そんな時もあるんじゃないかな、と思う。

感覚は、ただただ素直に。
感じたことを知らせてくれる。
熱かったら、アツい!
冷たかったら、冷たい!
そこには、良いも悪いも存在していなくて。
「私は、熱いと感じた。」ただそれだけ。
もし、「よくわからないな」と感じたのなら。
それも、そのまんま。
感覚は、ただただ素直に伝えてくれる。
感覚は、嘘を付けない。

一方。
頭では、自分が感じたことを無かったことにしたり。
嘘を付いたりできてしまう。
感覚は、熱いと感じていたのに。
頭では、「全然、アツくないし〜!」とすることもできちゃう。
私たちは日常生活の中で。
これをたくさんたくさん、やっているのではないかな。

「熱い」「冷たい」は、とてもシンプル・単純な話だけれど。
私たちの日々の生活・日々の出来事は、こんなに単純ではないから。笑
自分でも気付かないうちに「熱くないし〜!」みたいにしていることも、あると思う。
例えばそれが、「ちょっと熱めの温泉!」くらいだったなら。
別に良いのかもしれない。
けれどもし、自分を苦しめるような熱さだったなら。
「全然、アツくないし〜!」
って、感覚を無視して。
頭の声を優先することを続けていたら。
そりゃあ、カラダもこころも不調になる。
ずっと調子が悪かったりする。
本当は熱いはずなのに…
「アツくないし〜!」とずっとずっと思い込むことで、本当の感覚がわからなくなったりもする。
(思い込みの力は、すごい。)
苦しい熱さを見てみぬふりしているのだから…
幸せを感じることも難しい。
だって、本当の本当は辛いから。しんどいから。

ヨガの時間。
「感覚を感じましょう」
「自分の感覚を大事にしましょう」
なんて言われて。
感覚を感じて、何になるの?
感じたよ!この後、どうしたらいいの?別に何もしないの?
なんて思ったことある人、いるのではないでしょうか…^^笑
ヨガで、感覚を観ることを大切にするのは
「感覚をあるがまま観ることができる自分」
で在りたいから。
すぐに頭にシフトすることをやめて。
シンプルに感覚を感じる時間を過ごす。
そのために、アーサナ(ポーズ)=カラダの動きを使います。
何もしていないときよりも。
動いていた方が、感覚がわかりやすくなるから。

私たちは良くも悪くも「パターン(習慣・クセ)」でできているから。
「感覚をあるがまま観る」というヨガの習慣を持つことは、日常生活の中での「あるがまま観る」に繋がっていく。
そうすると。
今まで「熱くないし〜!」としていたことが「本当は、熱い。」って。
ふと気付く瞬間がやってくる。
それを素直に受け止められるようになる。
苦しい熱さだと気付けたら。
「そこから離れる」というのもひとつだし。
手袋をしてみる。
水をかけて、冷やしてみる。
熱さをもう少し和らげる方法は無いのかな〜と探ってみる。
誰かに相談する。
熱さに耐えられるような、強靭な肉体づくりを目標にする!笑
「熱い」って気付けたからこそ。
そこから色んな道が広がってゆく。
そして。
感覚を観るということを続けていくと。
強い感覚だけじゃなくて。
微細な感覚・繊細な感覚もキャッチできるようになっていく。
自分のカラダや心の小さな変化。
小さな声にも気付くことができるようになる。
「熱い」という、自分の本当の感覚を無視して。
なんか不調だから・なんか辛いから・幸せじゃないから…
どうにかしよう!
そう思っても、すんごくすごく難しい。
どこに向かうにしても。何をするにしても。
自分の感覚をちゃんとキャッチして。
そこから進んで行ったほうが、スムーズに進める。

だから
「私自身がどう感じているのか?」
まずは、それをちゃんと観ること。
あるがまま観ることが、全てのベースになる。
呼吸と心を やわらかく のんびりと
しょうこ






















